ご覧になっていただいている皆さま、はじめまして!
当ブログは、貯金0であったアラフィフの筆者による、来たるべき老後生活に向けた現在進行形の日々を記録するものであります。

アラフィフまで貯金0だった人が簡単に貯金できる訳ないよなぁ

アラフィフなんて、老後生活まで時間がないのに何をすればいいのかな?
このような不安や疑問に自問自答しながら、試行錯誤している日々の様子を通して、当ブログをご覧になっていただいている皆さまとともに、将来の老後生活が少しでも豊かになるように歩んでまいります。
また、少しでも参考にしていただける部分があれば、筆者にとって望外の幸せであります。
末永いお付き合いの程宜しくお願いいたします。
今回は、それまで貯金0だった筆者が、どうして資産形成に目覚めたのか?そのエピソードを通じて、資産形成の難しさについて書いてみたいと思います。
資産形成を邪魔したもの〜敵はすぐそこに
お金ってなかなか貯まらないですよね・・・なんで貯まらないんだろう?と考えたときに、たどり着いた結論は「なんだそれ」と思うくらい、本当に簡単なことだったのです。でも同時に、この問題の根深さを表しているとも言えます。
それは、筆者の「性格」でした。
殊に、老後生活について回る、お金については、圧倒的に稼いでいるわけでもなく、ごく平均的な収入水準であったにも関わらず
・お金に無頓着な性格であったこと
・なんとかなるさ、という生来の楽観的な性格であったこと
が災いして、自由に使えるお金は、全て消費に回っており(可処分所得 = 消費支出)、貯金が全くできていない状況が続いておりました。
「パーキンソンの第二法則(支出の額は収入の額に達するまで膨張する)」という、かつてのイギリス国家財政と同じような法則に陥っていたわけです。
貯金が全くないことが性格に由来している訳ですから、なかなかこの状況を抜け出すことは難しそうですよね。
目が覚めた瞬間〜最後の教え
そんな筆者の母親の生活といえば、父親はしばらく前に亡くなっており、貯金はなく、収入は老齢基礎年金と遺族厚生年金、合わせても、当時の65歳からの老齢基礎年金満額受給額 (816,000円)に満たない金額でありました。
筆者からも定期的に資金援助しておりましたが、それでも不足した際には母親から連絡があり、都度送金していた状況でした。
その生活は質素そのものであり、娯楽といえば、テレビだけだったといっても過言ではありません。ただ、嗜む程度ではありましたが、タバコだけはやめられなかったようでした。今にして思えば、帰省した際に一緒に外食することを楽しみにしてくれていたのかも知れません。
母親は今この世におりません。
亡くなっていた時、冷蔵庫は空っぽでした。
「自分の子供とはいえ、お金を融通してほしい、とはやっぱり言い難かったんだろうな・・・」
「自分にもう少しお金があれば、楽な生活をしてもらえたのに・・・」
筆者の中で何かが変わった瞬間でした。
教訓
確かに、アラフィフともなると、筆者の資産形成を邪魔したものを打ち壊すことは至難の業。しかしながら、「No Pain , No Gain」とは言うものの、目覚めるために失ったものは余りにも大きすぎました。
母親からの最後の教えともいうべき、こんな経験をしなければ、お金を貯めようとしないわけですから、
資産形成を始めるだけではなく、それを継続していくためには、相当な強い信念と持続可能な仕組みづくり、がとてもとても重要
ということは、決して大げさな物言いではないと思います。
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